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佐治敬三と開高健 最強のふたり  8

昭和の時代にサントリーを躍進させたふたりの話。

社長と小説家の物語。

戦後からビール、ウイスキーをどのように展開してきたのか。

才能ある人物を抱える社長はどのように発想するのか。

とても熱い一冊。



佐治敬三と開高健 最強のふたり
佐治敬三と開高健 最強のふたり北 康利

講談社 2015-06-24
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名経営者と言われる人間には、ある種の〃狂気″がつきものだ。万人が納得できるような経営戦略だけで競合他社を出し抜けるほど世の中は甘くない。

陰気なリーダーに求心力は生まれない。

立ちはだかるのは、騏麟麦酒(キリンビール)、日本麦酒(後のサッポロビール)、朝日麦酒(アサヒビール)の〃三社の壁″である。日ごろはライバル関係にあった三社も、新規参入者が出てくるととたんに一致団結してそれを排除し続けてきた。

生産と販売は車の両輪だ。三社は販売店の系列化を進めており、ビールにはビールの販売網がある。
特約店形式で販売しているところに新参者の商品をのせてもらうのは、きわめて困難なことだった。

当時、三社は自動販売機にあまり力をいれていなかった。当然だろう。彼らには特約店網があるからだ。自動販売機を置けば特約店の売り上げが落ちる。すると当然文句が出る。
ところが販売網の弱いサントリーには失うものが何もない。街角においた自動販売機は、即席のサントリーの特約店になってくれた。

事業勘と思いきりの良さは、優れた経営者に共通した資質である。



信治郎は十五歳下の、まだ二十九歳の青年に、寿屋の未来を託したのだ。入社時に確認した条件は、ウイスキー製造に関するすべてを竹鶴に任せる、そのために必要な資金を用意する、製造が軌道に乗るまで十年間は働いてもらう、という三点であった。
「年俸は四○○○円出しまっさかいに」銀行の大卒の初任給(月給)が五○円から七○円だった時代、破格の待遇といっていい。

家社会であった戦前において、養子縁組の持つ意味はきわめて重い。そこにある程度の持参金が発生するのはむしろ自然であった。だが、ものごこるついてから、自分が養子に行った理由は父親の事業が傾いたためだと気づいたときの敬三の心の動きはどうだったのか。


信治郎は先手必勝とばかりに、自分からGHQ将校の宿舎となっていた中之島の新大阪ホテル(現在のリーガロイヤルホテル)に乗りこんでいって担当者と面談し、ウイスキーの取引をはじめたのだ。
戦争には負けたかもしれないが、商売で負ける気はしない。信治郎の交渉は巧妙で、この上ない好条件で契約を締結することができた。

日本人相手なら良心の呵責もあが、GHQ相手では容赦ない。混ぜものをたんまりぶち込んだ、とんでもないイミテーションの安酒だった
「利益が出なければ事業とは言えん。遊びですよ!道楽ですよ!」


開高は後日、原稿用紙六枚に、依頼されたCM原稿を書いてきた。敬三はざっと目を通してみて一驚する。才気のきらめきが行間から溢れだしていたからだ。
原稿料として一枚五○○円、六枚で計三○○○円を手渡した。
昭和二十八年当時の一○キロあたりの米の小売価格が六八○円だったというから(週刊朝日編『簿篤農史生表』)、少なく見積もっても今の二万五○○○円くらいにはなる


昭和二十五年からの数年間は、朝鮮戦争特需と言われる時代である。日本人はみな、がむしゃらに働おあいいた。もう二度とあの欠乏と屈辱と汚職にまみれた時 代に戻りたくはないと、馬車馬のように必死に働いた。過労死の心配をしている者などどこにもいない。仕事ができるというだけで幸せだった。
現在の日本の社会インフラのほとんどは、この時代の日本人の労働の上に成り立っている。

ノベルティに小冊子という企画の魅力は、当時の人間の身になってみないとわからない。
敗戦で受けた心の傷は、そう簡単に癒やせるものではない。しかし人はすべてを失っても、想像の翼を広げることはできる。それを可能にするのが活字であった。


開高得意のウンチクが、いたるところにちりばめられている。これがバカ受けした。いきなり三万部も刷ったが、あっという間になくなってしまった。
無料配布だから刷れば刷るほど費用がかかる。だが敬三は人気が出たことをすなおに喜んだ。
書店にはおかないから、欲しければバーへ行くしかない。しかもバーごとの割当制で部数に限りがあるから常連にならないともらえない。割当部数の少ない店ではとりあいになった。

芥川賞のゆくえだが、開高は本命とは言いがたかった。一人の有力新人がいたからだ。車泉大学文学部フランス文学科在学中の学生作家大江健三郎である。

どれだけ口では応援していても、やはり人間損はしたくないものである。世評は圧倒的に大江に傾いていたため彼に賭けるものが多く、宣伝部にいたっては何と全員が大江に賭けた。もちろん開高には内緒である。

昭和三十三年(一九五八)五月二十日付で開高を退職扱いとし、あらためて翌日付で嘱託とした。
「給料は五万円で、とりあえず週二日出てきてくれたらええわ」勤務時間に縛られることなく、これまでどおり仕事をすることができる環境を整え、経済的な安定を約束したのだ。小学校教員の初任給が八○○○円という時代だから、破格の厚遇である。

経営者には冷徹な面も必要だ。情に流されて厳しい決断が出来ないようでは、会社は立ち行かない。
しかし敬三の懐の深さが、鬼才たちをのびのびと働かせることにつながったのは間違いあるまい。

一流企業は上場するものだという風潮にも反対だった。株主から短期間でのリターンばかり求められれば、ビール事業のような大胆な挑戦はできなくなる。

〃ザ〃という定冠詞をつけて高級感を出す開高のアイデアは、その後、サントリーのみならず、世の中に広まっていく。


アンケートを書いてもらうのではなく、実際に売れている様子を目で確認していったのである。


その結果、缶コーヒーのヘビーユーザーはトラックやタクシー運転手、工事現場で働く人などであり、二十五歳から三十五歳の男性。ここから「働く人の相棒」というコンセプトが生まれた。
そして彼らはむしろ、甘めで味が濃いものが好みであることを突き止めた。身体は甘さを求めているのに、アンケートを書く段になると甘さ控えめがいいと、ちょっと気取って書いてしまう。

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