Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://honyonderu.blog28.fc2.com/tb.php/4066-5cad8653

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える 10

オランダ史を真面目に読んだのは初めてでしたが、刺激的な内容でした。

そういえば、出島に来ていたのはオランダでした。
今となっては、あの時期になぜオランダだったのか。

日本人がオランダ語を必死に勉強していたのはなぜだったのか。

それは、当時、オランダが繁栄していたからなのです。

しかし、そのオランダは衰退していく。

なぜ資源が少ないオランダが、反映し、そして、衰退してしまったのか。

それを学ぶことで、今後の日本のとるべき道が見えるのかもしれません。

繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える (文春文庫)
繁栄と衰退と―オランダ史に日本が見える (文春文庫)岡崎 久彦

文藝春秋 1999-01
売り上げランキング : 97664


Amazonで詳しく見る
by G-Tools




オランダという国は本質的に平和的であった。オランダは、英国やフランスにとって何ら脅威ではなかった。ただ、その経済的優位を誇って一歩も譲ろうとせず、またその経済的優位は経済的方法によっては覆すことが出来なかった、というだけのことである

「オランダの政治家達は、国内政治では常に詐術や暴力を使っていたにもかかわらず、国際政治や戦争の問題についてはセンチメンタルな観点に立ってものを考 えた。戦争の恐怖については文学的な調子で書き、かつ語っていた。そして、戦争というものは、国家が何らかの形で富を獲得するビジネスの一つであり、損益 勘定もある程度までは計算出来るビジネスであることを閑却していた」

スペインの脅威がある間は、英蘭両国は共通の目的のために肩を並べて戦った。しかしスペインの脅威が去るが早いか、英国はオランダの経済力を脅威と感じる
ようになった。そして両国の抗争は、一六八八年の名誉革命以後、英蘭両国がフランスを共通の脅威と考えるようになるまで続いた。
「お互い損になるからやめよう」という議論が急に通らなくなって、「俺は損は覚悟の上だ。お前をつぶすのが目的だ」ということになってくるのである。
オランダは十七世紀の最大の法律家達を産み出し、その他にも最高の学者達を有していた。オランダの出版業は、他の全ヨーロッパが出版した以上の数の本を出した

「資源に乏しく気候に恵まれない風土のために、オランダ人は絶え間なく働き続け、節倹につとめなければならなかった。また、外気は冷たく非健康的なので家に篭りがちとなり、家庭的な人々となった。
知的水準が高く勤勉で、意志の力が強く、また仲間同士で種々な問題を真剣に議論し合うような習慣のある国民は、容易には専制に-とくにその専制が理不尽である場合はl屈しないものである。

漁業、加工業、貿易、造船などを中心として、オランダの経済力は十五世紀後半から急成長を遂げるが、オランダが世界の海上覇権国としての一歩をふみ出すのは、ハンザ同盟との戦いに勝って東ヨーロッパ貿易の覇権を握ってからである

反乱軍の海軍司令官であるルーメイ・ウィレム・ファン・デル・マルク伯爵は二十四隻の船を率いていたが、こうなってはもはや頼るところもなし、食糧も欠乏してしまったので、一か八かでオランダの海岸で物資を調達しようとした。
当 初の計画ではアルバ公側の船を攻撃、掠奪するためにオランダ北部のテクセルに向うつもりだったが、風に押し流されて南部の主要港であり戦略的な要衝である デン・ブリルに着いてしまった。ところがたまたま、デン・ブリルのスペイン守備隊は一時的に留守であり、町の指導者は五千名のシー・ベガーズが来たという 大げさな情報に驚いて、抵抗を諦めて逃げてしまったので、そのままウィリアム公の名の下におけるデン・ブリルの占領を宣言した

デン・ブリル占領のニュースは、たちまちネーデルラント全土に広がった。これを聞いたオランダ人は、今までのスペイン軍の恐怖の呪縛から突然、解き放たれた。

デン・ブリルの占領は、ネーデルラント内の情勢を一夜にして変えてしまっただけでなく、それまではスペインの脅威にいかに対抗するかに腐心しながら、その強大さを畏怖して対決を避けていた、全ヨーロッパの政治的軍事的雰囲気をも一変させた。

婦人軍は四十七歳の徳の高い未亡人に指揮され、すべての戦いに勇猛果敢に参加した。このような婦人部隊を前にしては、男は唯一人として卑怯な振舞いなど出来なかったであろう、とモトリーは書いている。

引退にあたって、アルバ公は最後まで詐術を用い、ネーデルラントを収奪した。アルバはアムステルダムの金持達から多額の借金をして、ある期日に払うことを 約束していたが、約束の日の前にひそかにアムステルダムを脱出して帰国したのである。これが、一度もスペイン王とアルバ公の権威に抵抗したことのないアム ステルダムの市民に対する仕打ちであった。中には一夜で富裕階級から貧民に転落したオランダ人もいたという。
オランダ軍は、あらゆる兵種を数えて歩兵二万と騎兵二千に過ぎなかったが、ヨーロッパで最もよく訓練された軍隊となった。とくに革命的だったのは、兵の給料が一人一人に定期的に支払われたことであった。
当時の軍隊の給与は、隊長の請負制であった。一個中隊は隊長も含めて百十三名がきまりだったが、中隊長は百十三人分の給料を貰いながら、上司に報告した隊員の氏名の三分の一は架空のものだったという。

砲兵は、それまでは砲術の職業的な専門師を、その都度雇い上げて使うのが習慣であったが、砲兵隊も軍隊の一部となり、十一頭の馬に牽かれる野戦砲も導入された。

スペインとの戦争が陸に海に続いている中で、オランダの経済は大躍進をとげた。
一五八九年から一六○九年までの二十年間に、アムステルダムの人口 は七万から十三万に増えた。その間、アントワープの人口は五万減っているので、その分だけアントワープの経済力がアムステルダムに移ったと考えてよい。そ して、アムステルダムの人口は、次の十年間にまた倍増する。
オランダは外国人に平等な待遇を与えただけでなく、移住の奨励策も講じた。

オランダの船を例にとると、オランダ以外の国の船の持主はたいてい一人、多くて二、三人であったが、オランダの船は一隻が十六人、三十二人どころか、六十四人の船主を持つことも珍しくなかった。

有力者達が皆、船の一部のオーナーになっていたわけである。その結果、危険が分散されるだけでなく、各種製造業、漁業、運輸業、倉庫業、金融保険業などすべての情報をフルに活かし、またオランダ社会の横断的、縦断的利益を総合的に代表することとなった。

地方分権主義がオランダの外交、防衛政策の一貫性を妨げ、オランダ帝国衰亡の主因となったことは、バーカーだけでなく誰もが認める客観的な歴史的事実のようである。
他に例をみないような大きな功績は、悪意と中傷を招かざるを得ないであろう

スペインはあらゆる方法でオランダ国内の分断、離間工作を行い、結果としては民衆、貴族、教会などからの猛烈な反対論もあったにもかかわらず、一六○九年、スペインの最も望む十二年間の休戦となった。

オランダは口では理念として自由貿易を標傍しながら、実際には世界各地で貿易の独占に腐心した。

スペイン人を植民地から駆逐した後、各地域と結んだ取り決めでは、出来るかぎり独占条項を挿入しようと努めた。日本との貿易などは、独占条項はないとはい え独占貿易の最たるものである。日本側では鎖国と呼んでいるが、世界の貿易システムから見れば、日本貿易がオランダに独占されていたという方がより正確で あろう。

商売でも賭事でも戦争でも、いちばん難しいのは降り時を知ることであり、いちばん危険なのは甘い判断をして降りるチャンスを失うことである。英国の世論と 議会がどこまで反オランダ的になっているのか、スペインの脅威の減少が国際政治にどういう影響を及ぼすのか、英蘭間の海軍バランスの変化、英国の政情の推 移などについてオランダ側の判断が甘かったので、降り場を失ったのだともいえる。

戦争の倶れがあるなどと言ったら、たちまちオレンジ家と軍の復権につながると思っているブルジョア政治家にとって、事態を甘く判断する以外に選択の余地は ない。その見通しが本当に正しいか、本当に戦争にならないかは別の問題なのである。そして、その結果、判断を誤り、国民を怖るべき惨禍に導くのである。
火力の差と並んで戦争の帰趨に決定的な影響があったのは、両国の地政学的な優劣の差であった。英国通商路は大西洋に向って西に開いていたのに対して、オランダの貿易は英国の島によって泥されている。

一年の四分の三は偏西風が吹いているという気象条件の下では、英国の諸港を出航した軍艦は容易に集結して戦闘力を集中出来るのに対して、オランダ側は出港に手間取り、英国側に準備の時間を与えた。
地政学的にも、オランダにとって英国だけは絶対に敵にしてはならない国だった。


英国の世論も議会も、とうに戦争には飽きあきしていた。戦争が始まるとオランダは、英仏共同の海軍力の前に民間船を守ることは不可能と判断して、商船と漁船の出航を禁止してしまっていた。これはオランダ経済には破滅的な影響を与えたが、英国側にとつては過去二回の英蘭戦争と違って、国民の喜ぶ海上の戦利品が全くなくなることになった。しかもその上、大量の失業者となったオランダの船員は、各地で私掠船に乗って英、仏の通商路を妨害し、掠奪に従事した。これでは戦争のうま味が全然ない。

スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://honyonderu.blog28.fc2.com/tb.php/4066-5cad8653

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

Amazon

カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

PR

月別アーカイブ

プロフィール

しげた

Author:しげた
個人事業を立ち上げましたが、勉強のため、日々多読をしています。

人気ブログランキングへ

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

読書ツール

ブックストッパー
ブックストッパー 本を押さえるのに便利!!

FC2カウンター

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。