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アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界  10

教養のためにアダム・スミスを読んでみました。

スミスの2作品

道徳感情論

国富論

の内容解説です。

教養のない私は、道徳感情論なんて聞いたこともありませんでした。

深い人間考察ですね。

社会の規律がどうやってできていくのか、個人の道徳観はどうやって生まれるのか。

自分の感情を見直すことができそうです。

国富論もさることながら、道徳感情論、外せないですね。

このあたりの知識が欠けている人は、役立つ内容ですので、ぜひ!


アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)
アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)堂目 卓生

中央公論新社 2008-03
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この時期には、出版物の数が激増した。出版物の多くがラテン語ではなく、英語やフランス語、ドイツ語などの世俗言語で書かれ、人びとは出版物を通じて著者 の科学的発見や思想に触れることができた。また、ヨーロッパ各地にアカデミーや科学協会が設立され、学術と科学の振興が図られた。大学も神学部を中心とし た古い体制から新しい学問分野を取り入れた体制へと改革が進められた。

貿易の拡大や製造業の発展によって、イギリスの経済はたしかに発展していた。しかし、経済発展の成果は、社会の下層階級にまで十分には届いていなかった。

都市は、経済的変化の波に乗ることができた「勝ち組」と、それに乗ることができなかった「負け組」とに二分された。

第二の闇の側面は、財政問題であった。イギリスはフランスとの戦争に勝利したものの、戦費を調達するために多額の国債を発行した。

世間は、目に見える結果に左右されて、同じ程度の善意、同じ程度の努力にもとづいた行為であるにもかかわらず、有益な結果を出すことができた人を称賛し、出せなかった人に対しては、それよりも少ない称賛しか与えないのである。

私たちは、どの程度まで、感情を高ぶらせてもよいか、本能的な欲望を解放してよいか、自分の利益を優先してよいかを、一般的諸規則を顧慮することによって判断するのである。
結局、義務の感覚にしたがうことによって私たちが得るものは、「心の平静」なのである。

私たちは、他人の行為であれ、自分の行為であれ、慈恵的な行為については、一般的諸規則に厳密にしたがうべきだとは考えない。むしろ、私たちは、行為を駆り立てる快い諸感情が一般的諸規則を超えて自発的に発揮されることを望むのである。

私たちは、慈恵は一般的諸規則に厳密にしたがうべきだとは考えないのに対し、正義は一般的諸規則に厳密にしたがうべきだと考える。このため、私たちは、慈恵に関して正確な社会的ルールを作らないのに対し、正義に関しては正確な社会的ルールを作る。
正義は、有害な行為を受けた人の「憤慨」に対する私たちの同感にもとづいている。
人間は悲哀よりも歓喜に同感したいと思う傾向をもつ。
嫉妬を乗りこえることができるならば-あるいは、最初から嫉妬が起こらなければ-私たちは、進んで他人の歓喜に同感する。

私たちが富と地位への「野心」をもつのは、富や地位の便利さ、快適さのためだけではなく、それらを手にすることによって得られる他人からの同感や称賛、あるいは尊敬や感嘆のためである。

競争は、人間が孤立して生活するならばもたなかった野心-虚栄心-を集団生活の中でもつことによって引き起こされる。
自分は世間から無視され、あるいは軽蔑されていると思うことは、人間の希望をくじき、心の平静を乱す。無感覚にならないかぎり、あるいは社会との関係を完全に断ち切らないかぎり、私たちは、自尊心を傷つけながら生きていかなければならない。
「弱い人」は、最低水準の富をもっていても、より多くの富を獲得して、より幸福な人生を送ろうと考える。
そのような野心は幻想でしかなく、個人の幸福の程度は、富の増加の後と前で、ほとんど変わらないので、「弱い人」は、だまされることになる。しかしながら、スミスは、そのような「欺職」が経済を発展させ、社会を文明化する原動力になると考える。

富と地位に対する野心は、社会の繁栄を推し進める一方、社会の秩序を乱す危険性がある。
人間には、変えられない現実として、「賢明さ」とともに「弱さ」がある。そして「弱さ」にも、「賢明さ」と同様、果たすべき社会的な役割がある。

しかし、「弱さ」が社会的役割を果たすためには「賢明さ」からの制御を受けなければならない。
公平な観察者の判断基準は、慣習の影響を受けるために、諸社会の間で完全に一致することはない。しかしながら、社会の存続にとって重要な問題、つまり正義の問題については、公平な観察者の判断基準は、諸社会の間で一致するはずである。

繁栄の一般原理、すなわち、物質的豊かさを増進するために、あらゆる社会がしたがわなければならない自然的原理は、分業と資本蓄積である
スミスが重視する分業の効果は、社会全体の生産性が向上することだけでなく、増加した生産物が社会の最下層にまで広がることである。
分業が進むためには、それに先立って交換の場が形成されており、より多くの生産物を交換の場に持ち込んでも買い手を見つけることができるという確信がなければならない。
スミスは、ひとつの工場で、一人の労働者が全工程の業務を行なうよりも、多くの労働者がひとつの業務に特化した方が、労働者一人あたりの一日の生産量は増 えると考えた。しかしながら、分業による生産量の増大が実現するためには、生産に必要な、より多くの材料が前もって用意されていなければならない

人間が他人から関心をもたれること、同感されることを望む存在だということでもある。社会は、このような人間が言葉や表情や行為を用いて互いに同感し合う場である。
スミスにとって、市場は富を媒介にして見知らぬ者どうしが世話を交換する場であった。
人間は市場を通じて、自分に特別な愛情をもっている人以外の人からも世話を受けることができる。
スミスは、喜び、怒り、悲しみなど、私たちの中にある、さまざまな感情が作用し合うことによって、社会秩序が形成されると考えたのである。
一般的諸規則は、他人との交際によって、そして非難への恐怖と称賛への願望という感情によって形成されるといえる。
いったん一般的諸規則の具体的な内容が確立されれば、私たちは、ある行為に対して、それが一般的諸規則に適合(または違反)しているか否かに応じて、称賛(または非難)に値するか否かを判断する
私たちは、一般的諸規則に反する行為をすれば、たとえそれが世間から非難されなくても、胸中の公平な観察者の非難を受けることになる。この場合、私たちは平静な心を保てないであろう。

経験をもとにして、個人は自分が所属する社会で一般的に通用する「公平な観察者」を心の中に形成し、自分の感情や行為を胸中の公平な観察者が是認するものになるよう努力する。このような個人の性質が、正義の法の土台をなし、社会の秩序を形成する。

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