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カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住30年の軌跡  6

かつて、日本政府のキャンペーンをみて、ドミニカに移民した人たちの生活を描いた一冊。

国という存在が、どのような行動に出るのか、その生態を知っておくために、仕入れておきたい知恵。

北朝鮮もそうですが、最初の判断を誤ると、なかなか救済してもらえない。

どのような判断が間違いだったのか、歴史から知っておくべきです。

カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住30年の軌跡
カリブ海の「楽園」―ドミニカ移住30年の軌跡高橋 幸春

潮出版社 1987-09
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当時の新聞では、ドミニカは「カリブ海の楽園」と宣伝され、募集要項には、移民には無償で土地が与えられるともうたわれていたのだ。

政府は終戦二か月めに食糧難の解決策として緊急開拓政策を打ち出した。
日本各地の山林、原野を開拓し、食糧増産を目指したのだ。開拓には引き揚げ者、復員兵、戦争罹災者などがあたった。

移民の生活は給付金も打ち切られ、日毎に困窮していった。
米を作り出すようになると水争いが頻発した。

市内で客を集めすべて座席が埋まるまでバスはバラオーナに向けて出発しなかった。


ここに入植した移民がコーヒーを収穫するまでには、自分の鼻がつきそうな山の斜面で、気の遠くなるような過酷な労働が要求された。多くの者が耐え切れず、移住地に失望してこの地を離れて行った。

すべての移民に共通していたのは「全財産を処分してきたのに、いまさら日本におめおめと帰るわけにはいかない」という思いだった。

日本人がドミニカの土を踏み、集団帰国が終了する一九六二年までの間に二十人が死亡していた。事故死も数人いるが、ほとんどは病死だった。そして、一件の自殺も含まれている。

移民は中米紛争の中に、否応なしに巻き込まれていった。大使館は「自由」という名の下に彼らを完全に見放していた。

当時の沿岸漁業は鹿児島に限らず、どこでも漁獲高が減ってきていた。このままでは大変なことになると思っていた。その時にドミニカ移民の話が舞い込んで来たんだ。

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