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人はだれでもエンジニア―失敗はいかにして成功のもとになるか   7

こんなに昔の本だと思わなかった。

それだけ今でも通用する内容。

失敗が必然的に起きる。起きるべきであるという内容。
防げないなら被害を最小限に抑える。


人はだれでもエンジニア―失敗はいかにして成功のもとになるか
人はだれでもエンジニア―失敗はいかにして成功のもとになるか



「失敗」を避けることが、エンジニアリングの、第一の、そして最大の目的だ。すさまじい大惨事が起こったら、それは、つまるところ設計の失敗である。だが、そういう惨事から得られる教訓は、世界中で破損することなく使われている機械や構造物を全部合わせたよりも、ずっとエンジニアリングの知識を進歩させるのに役立つ。

われわれの身体そのものが、エンジニアリングの構造物にあh限界があることを教えてくれるのだが、それだけでは十分ではないかのように、われわれの使うことばそのものが、人生や人体が日常経験する試練については、あいまいなことしか教えてくれない。生命ある人体も生命なき建材も、緊張や圧力のもとに置かれると、すぐには壊れないまでも疲労するものだ。

大人になると子供の頃のことを忘れるように、われわれはどういうわけか、われわれの構造物が失敗作にはならず、成功作になることを期待している。
エンジニアもエンジニアでない人も同じように、人間として、自分たちの創造するものが人間の限界を越えたものになることを望んでいる。

後知恵は常にものがよく見えるものなのだ。
エンジニアは仮説を立てるときに、計算をするときに、結論を下すときに、誤りを犯す。エンジニアが誤りを犯すことは許されてしかるべきだが、その誤りを見つけることは必須である。だから、自分自身の仕事をチェックする能力をもつだけでなく、自分の仕事を他人にチェックしてもらうこと、他人の仕事をチェックする能力をもつことは、近代のエンジニアリングに不可欠なことだ。

誰一人として、失敗から学ぶことを欲する者はいない。しかしわれわれは、成功からは、技術の現在の水準を越えて大きく前進することを学ぶことはできない。

亀裂はそれだけでは危険視する必要はなく、責任ある設計は、設計の目的ぶつに亀裂または材料や工作上の欠陥がある可能性を考慮に入れておくものなのだ。
疲労という現象を理解すること、それを帽子することは、まったく別な二つのことだ。

コンピュータは、設計作業にはほとんど欠かせないパートナーになりうるのだが、同時に、これを使うご主人の側に過信を招くもとにもなりうる。
失敗の経験どころか成功の経験もあまりないような新奇な構造物の設計でコンピュータに頼ると、かつて計算尺の時代に人間のエンジニアが間違えたのと同じように、いやたぶんそれ以上に、コンピュータが間違いを犯すことになるだろう。

あらゆる破損や難事で、この分類項目のどれか一つに当てはまらないものは考えにくい。
一、無知 二、倹約 三、過失または不注意 四、異常事態-地震、激烈な嵐、火災、その他

設計の目的は失敗を避けることにある。しかし、真に失敗のおそれのない設計などというものは空想の産物だ。設計に対するもろもろの要請は互いに矛盾し、折り合いはつけられない。あらゆる装置の設計は何らかの程度失敗である。それは、もろもろの要請のうちのあれこれが無視されているからであり、あるいは、妥協の産物だからである。妥協とはある程度の失敗を意味する。

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